昨日僕の勤める会社の総務部の課長が亡くなられました。
今日の朝の会議の社長からの開始の合図がそれだった。
課長は総務部だったので営業職である僕が直接的に仕事で関わることは少なかったのだが、やっぱそれでも悲しかった。いや、本音を言うと心の底からショックだった。
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総務部の課長
総務部の課長は女性の方で御年63歳であった。
60歳過ぎたこともあり定年を過ぎた方ではあったのだが、総務部全体の周りからの強い要望により定年過ぎた後でも会社で仕事を割り振られて働いていた。
課長は結婚しており幸せな家庭の様子であったのだけど、旦那さんは2年前に膵臓がんで既に他界されていた。子供は息子が1人おり40歳くらい。結婚して東京に暮らしていることは聞いていた。
孫もいて、もう5歳くらいだったか。孫の可愛さを何回か聞いている。
定年過ぎた後も総務部から残るように強い要望があったのは、おそらく旦那さんが亡くなってしまったことも加味した総務部部長の計らいもあったのだと思う。
そして孫の話を何回も僕に聞かせるあたり、こう言っていいのか分からないけど、課長は超が付くほどの誰もが認めるくらいの「名古屋のおばちゃん」!
流暢な名古屋弁を使い回し、思ったことを大脳を通っているのかわからないスピードでハッキリと言っちゃう、そんな感じの人だった。
営業の僕に対して「あんたそれ間違っとるがね!ちゃんとお客さんに確認したんかね?ちゃんと言わんといかんよ!」、「今日外暑っいがねー!地べたも車ん中もちんちこちんだで!外回り気を付けないかんよ!!」こんなことを言われることが多々あった。
ここまで流暢に本当の名古屋弁使う人がいるのか!??って驚くくらいの人だった。
昔「課長ってめっちゃ名古屋弁ですよねー?」って僕の上司が言ったことがあるらしい。その時課長は「はぁー?標準語だがね!何言っとるの!?」と返したそう。
周りは爆笑したそうだが、その後本人はコソッと総務の部長に「私ってそんなに名古屋弁使っとる??」っと真剣に相談していたらしい。
お酒も大好きで、飲み会の後も二次会には常連だった。「そこいらの男には負けん!」とばかりに酒をじゃんじゃん飲む。僕も酒は好きなのでよくお供させてもらったことがある。
ただ、こうハキハキと何でも言っちゃう性格から良く思わない人達ももちろんいた。脊髄反射的に思ったことを言っちゃうことから、強めの口調で非難されたと思われたりとか、人のプライベートの話を大きな声で言っちゃったりとか、顧客からのクレームが来たりとかは結構あったりした。
顧客からのクレームも絡んだりするときもあったので、周りの営業部の社員からは特に良く思われていなかった。
総務部の部長が注意したりしたときももちろんあって、反省したりしてる様子をたまに見たりしたけど、基本は変わらず翌日には大きな声で思ったことを今まで通りのトーンでしゃべってた。
でも僕はそんなサバサバとした課長の性格が意外と好きだったりもした。周りの営業部の社員は「声がデカいし、うるさいし、デリカシーのない人」っと煙たがられていたけれど、別に悪気があって言っているわけではないことは知っていたし、僕のことも良く思っていてくれてたみたいだったので、素直に話が出来る懐の広い女性(母親に近い)ぐらいに思ってた。
課長との関係
そもそも総務部の課長とは、僕も部署が一緒ではないので同じ仕事をすることは少ない。ただ、僕の中で課長とは非常に思い出深い話があった。
僕が今の会社に就職したのが4年ほど前。
当時別の職場を探してた僕は、今の会社をハローワークの求人サイトで見つけて応募した。
前職をとにかく辞めたくて次の就職先に焦っていた僕はとりあえず地元で、土日休み、就職当初から経験のある営業の仕事の条件でならどこでもいいと思い、最初にヒットしたの今の会社にすぐに履歴書を送った。
「次の職場早よおおおおおおーーー!!!今の仕事辞めたいんゴーー!!」っといつものテンションでイキがってた僕の思いが伝わったのか、ありがたいことにすぐに面接の電話が掛かってきた。
その時の電話の連絡をくれたのが、総務部課長だった。
課長「じゃあ面接ですが、6月16日の11:00に来て下さい」
僕「わかったんゴ!」
で、面接当日6月16日。
新しい会社に気持ち向いてた僕は、前職で有給を取って面接に向かった。当時今の会社には一度も行ったことなかったし、名古屋のどこら辺なのかもいまいちわかっていなかった。面接当日が初めての訪問。
途中で道を間違えたり、電車を乗り間違えたりして遅刻することがないようにさすがに早めに家を出た。
思いの他、時間に余裕があり、最寄の駅まで40分くらい前に着きそうだった。最寄りの駅からは割と近かったのでどんなに遅くても30分前には着く計算だった。
もうすぐ最寄の駅に着くというところの電車の中で、突然電話が掛かってきた。
「誰だよこんなときに…」と仕事出来る社員風に胸ポケットから手首のスナップ効かせてスマホを取り出す僕。(まだ就職決まってない)
スマホを見るとこれから面接を受ける会社の番号。
電車の中で電話出るのってマナー的にどうなの?ってか向かってるであろう最中だと分かる僕に電話掛けてくるってどうなのよ!??こちとら電車の中じゃい!わかるだろっ!察するだろ!!試してるのか?これは?試されてるのか??いかなる状況にも関わらず電話に出られる男であるのか試しているのか!???わからん!
僕はマナーを選んだ。ってか途中の駅で降りた。そんで電話に出たよ!
するとさ、
課長「10:00から面接ですがどうなっていますでしょうか?」
僕「!????」
時計を見ると10:10だった。いや、待て!今何が起こってるんだ?
11:00だよな?いや、でもなんかおかしい気はしたんだ。面接の時間を敢えて昼の一時間前に設定するか?それはちょっと思ってはいた。
だけど、ヤツは絶対11:00と言った(失礼)
とにかく電話で謝罪をして、時間を間違えていた旨と近くの駅までは来ていることを伝えて向かうことにした。
そこから人生で結構な上位に入るくらい焦ったし、走った。
まずソッコーで次の電車に飛び乗り、駅降りた瞬間めっちゃ走った。そして汗だくのまま会社に到着した。
事務所に連絡して現れたのは総務部課長。
「絶対11:00って言っただろ!」と言いたい気持ちを押し殺し、謝罪を繰り返した。
初めて会った課長はてっきり冷たい塩対応をされるかと思いきや、あまりの到着の速さのむしろ驚いている様子であった。
勝った
いや、全然勝ってないのだが、とりあえずはしっかりと確認しなかった僕にも間違いなく落ち度はあるので、その後社長を含めた面接を担当してもらった方々にも謝罪を繰り返した。
少なからず第一印象は最悪。面接もどうしても遅刻の話が引っかかる。ただ、自分の経歴だったり、仕事への考え、会社に入社したら出来ることを語りつつ質問に答えていった。
面接をなんとか終えて帰宅途中。まあおそらくダメであろうと思っていた。むしろ30分以上遅刻しといて面接受けさせてもらえただけでもありがたいと思っていた。
すると帰りの電車に乗ろうとしたところ、面接受けた会社から電話が入った。早々のお断りだと思いながらも電話を出ると、なんとすぐに採用したいとのこと。マジか!
素直に嬉しかったし、入社する気満々だったので、直ぐにその採用を受けることにした。翌月からでも来て欲しいとのことだったので、前職にはすぐに退職の旨を伝えて今の会社への入社を決めた。
そして今に至る。
何故遅刻したにも関わらず採用したのか気になっていたので後に何気ない話の中で社長に聞いた。
すると総務部課長の強い推薦があったからだそうだった。
総務部課長は人を見る目が抜群にあるとのお墨付きがあったとのこと。それは社長も部長も認めてるらしい。科学的根拠は全くないみたいだけど、総務部課長の第一印象で良くなかった人はみんな退職していったそうだ。反対に目に留まった人は長く、そして社内でも実績を残して現在も社員として働いているそう。その勘に任せたとのこと。それってどうなの?
まあ要するに僕の足が勝ったわけだ
それはさておき、この話を聞いたとき本当に素直に嬉しかった。本当に嬉しかった。
課長は入社しても自分からは全くそんな話は僕にしなかったし、「そんなこともあったねー」くらいな冷めた感じだった。
そして入社後は面接の話になる度に、僕は絶対11:00と聞いた!課長は絶対10:00と言った!の水掛け論を何度もしていた。
課長の死
僕は今日の会議の本当にその時課長が亡くなったのを初めて聞いた。
確かに課長は半年ぐらい前から体調が悪く入退院を繰り返していた。と言うのも実は課長は旦那さんが亡くなって直後に癌が発覚していたのだ。
入退院を繰り返しながらでも、退院してるときは会社に来ていた。会社も一週間出社して体調が悪いときは、次の一週間休みを取ってみたいな感じ。本当に最近まで、それこそ先々週までは体調が良かった様子で会社に来ていて一緒に働いていた。
会社に来ても階段を少し辛そうに登っていたことや、体調悪くて午前で早退していたりしていたのは見て分かるのだが、絶対弱音を口にしないし、明るく元気に大きな声で話しているそんな様子だった。
体調悪いのは知っていたので、少しでも面白い話しようと僕も昔の彼女への執着心を可笑しく話したり、酒の悪い思い出を話したりして笑いを共有しようとしてた。時には面接の話をしたりして。
僕のそんな話にも真剣に耳を傾けて、体調悪いにも関わらずしっかり話を聞いてくれて、しっかり会話を返してくれた。
体格はやせ細り、筋肉が大分落ちていることは見てわかっていた。
先週はやはり体調が良くなかったのか、一週間ほとんど入院していた。
そして今日の朝の訃報であった。
会議開始の直後社員全員で黙祷をした。ただ僕の中では頭の中が整理できてなかった。唐突な訃報に頭の中が真っ白になった。人間ってそんなに簡単に死んでしまうのか。ついこの前まで一緒に話をしていたのに。そんなに一緒に関わる仕事があった訳ではなかったから、そんなにショックを受けるはずがないと自分に言い聞かせたんだけど。何故か尋常じゃないほど悲しかった。
その後の会議も正直なところ呆然としていた。ついこの前まで一緒に働いていた人がいなくなったのに普通に仕事は進んでいく。不思議な感覚だった。周りの人はどう思っているのだろう。本当にそのままそう感じた。
別にいい人を演じるつもりもまったくないし、痛みが分かる人とかそうゆうのは言われたくもない。課長とは仕事で関わることも少なかったし僕自身は別に業務にも影響はない。課長と出会ったのも人生の中のたった4年程度そんなに深い付き合いをしたわけでもない。いい大人がいつまでも引きずる必要はないし。そのまま何もなかったかのように構わず過ぎていってくれればそれでいいと思いたい。
だけど何故か淋しいし、悲しい。
仕事に全く集中できなかったので、ひとまず外に出ることにした。客先に行くことにした。
車に乗って数分後、僕は泣いた。
全く泣くつもりなんかなかったんだけど、気付いたら声を上げて泣いていた。
泣いている理由はその時は全く分からなかった。何故自分が泣いているのか。何故家族でもない人の死にここまで泣くのか。何故出会って数年の人に対してここまで泣いているのか全く分からなかった。
だけど何故か泣いていた。
同時に後悔した。
もっと話をすればよかった。もっと素直に体のことを聞けばよかった。もっと課長の気の許せる人達誘って一緒に食事に誘えばよかった。もっと面接のときの話を聞きたかった。
何分経っただろうか、泣いていたことが分からないよう時間を掛けて会社に戻った。
その後息子さんが会社へ訪れ荷物を持って帰っていった。お通夜とお葬式は家族葬にするとのことだった。せめて献花だけでもと総務部に相談したが家族葬とのことで辞退するよう言われた。結局後日息子さんの了承を得て、墓参りに行くこととした。
最後に
出会ってから数年の人に対してどうしてこんなに悲しみにくれるのか分からなかったんだけど、やっぱり自分を良くしてくれていた人だったのだからと今は少し感じる。
今日もその後は会社でも少し引っかかりつつも仕事に集中したし、SNSでも普通に話をすることが出来た。
おそらく僕はこの後の人生で今日の話は忘れていくだろうし、人生に影響がある訳でもない。ただ、身近な人が無くなることがこんなにショックであるということを忘れないよう、そして後悔することが無いように今日の備忘録としたい。
全くこのことで共感してもらいたいとも思わないし、なんと思われようともいい。ただ自分の思ったことを綴るブログだからここに残したいと思って書いた。
課長は本当に優しく強く心の美しい女性だったと今となっては思ってる。そんな課長が僕を良く思っていてくれたことが本当に嬉しかった。
最後に少し時間があったのならば、酒の場で面接のときの話をしたかったです。お会いしてから今月でちょうど4年でした。本当にありがとうございました。
以上